小室直樹先生の名著の一つですが、こう書いてあります。
「デモクラシー」の反対語はなんですか?と問われると「軍国主義」と思う人が多いが、これは間違いで、デモクラシーの反対は「神権政治」である。(186ページ)
つまり人間中心の政治が「デモクラシー」で、その反対は神様が中心で、神の意志に則って行われる「神権政治」である。
世界史に類を見ないといわれる戦時中の軍事政権(東条英機内閣、軍人である東条英機さんが総理大臣、内務大臣、陸軍大臣などを兼務)が成立した時代もちゃんと普通選挙が実施されていて、その意味では民主主義の手続きが行われていた。
日本の歴史教育は年号のマル暗記ではなくてこういうことを教えないとダメだと私は思います。
問題は、選挙で選ばれたら自分が神になったと勘違いしてしまうことです。
日本の場合は、政治家が選挙の公約を平気で破るといわれますが、これは
「自分は選挙で選ばれたので、(任期満了までは)神になったのでなんでも許される」
という思想に他なりません。
小室先生は「危機の構造」でも、
「日本人の思考・行動様式は戦前のそれと全く変わっていない。」
と言っておられますが、私もそう思います。
この本でも言っておられますが、日本の民主主義はまだまだ未熟である
正当な憲法改正の手続きをとらず、時の政権が憲法の解釈変更で真逆の法律を通すことは民主主義の否定(つまり神権主義)です。
昨日も書きましたが、議案そのものの良し悪しは別問題で、今、重要なのは、どのような手続き(プロセス)をとるかです。
また、今回の問題が可決成立した場合にはそれが前例となります。
今回もニュースを見ると過去の判例などが引き合いに出されていますが、あのように未来永劫、前例となる。
すると憲法9条の規定なども真逆の法律解釈に基いた法律を通すことが理屈上は可能となり、憲法は形骸化する。
今般の「前例」を根拠に将来の政権がどんな法律を作ってしまうのか?
考えたら怖いな。
「そんなことをするわけがない」
と誰が言えるのでしょう?
民主主義の手続きに従ってことをすすめていだくことを切に願います。